ヴァラナシ〜出発編〜

あの座っているだけで眉間にシワが寄ってくるような、
自分を殺して時間を切り売りしているような空間から私は抜け出し、
今日というちょっぴりスペシャルな日を過ごすために
私は夜行列車に乗って聖地ヴァラナシに向かった。
今日は私の誕生日。


デリーとヴァラナシを結ぶ細長い線の上を、
私は細長い乗り物に乗り込み、
目的地に自分が運ばれるのを寝転がって待った。
デリーで旅行代理店を経営する友人がたまたま同じ列車に乗るというので、
同行することに。
エアコン無しのスリーパークラスで行こうと思ってたら
エアコンつきの少し高めのクラスのチケットを融通してくれた。
私がいつも利用するよりもきれいで、人が少ないのと
窓が開かないようになっているためとっても静か。
前述の通り、当初安いクラスのチケットで行こうと考えていたので、
“汚れてもいいような”大分ラフめな格好をしていたのだけど
その車両というのは、あの埃っぽさがなく、
おまけにベッドには日本のブルーとレインみたいに
枕、シーツ、毛布が用意されていた。
さすが3倍強のチケット代を取るだけある。
しかも3食が機内食のように運ばれてくる。
そういえばほとんど忘れていたが
かつて1度だけ乗ったことがあるような気がする。


インドの人は、日本みたいにごろごろ寝転がる=怠け者、という
マイナスイメージがないようで、みんな悪びれることなく
朝日が昇ってもいつまでも寝転がってお喋りしている。
車窓から外を眺めていると、田植えをしているのが見えた。
水稲。苗が日本で見るのよりも気持ち背が高い。
去年は借金苦に自殺する農夫が多くて
連日ニュースになっていたことをふと思い出した。


10時過ぎて完全に目が覚め、洗顔などして身支度を整え
鏡を見ながら眉間にビンディーのシールを貼ったりして
過ごしていると、先からやたら長々しく停車していた駅から
やっと列車が走り始めた。同時に、さっきまで車窓から
見る限り見えなかった駅名の看板が視界に入った。
ムガールサライ
…しまった、降り損ねた。降車駅だった。
到着時刻を知らずに乗ったけど
デリーから意外と早く着くものだな。


慌てて2段ベッドの上で相変わらず寝ている知人を起こして、
相談すると、ちょうど通りすがった車掌に事情を説明してくれた。
次の停車駅は30分くらいで着くと言う(実際1時間半後)。
通路反対側のボックス座席のインド人男性も
すぐに私の状況を察知し、まだ寝ぼけ半分の知人よりも
余程私のために調べたり聞いたりしてくれた。
もう何人のこういう親切なインド人にお世話になったことか。
11億のインド人の中には、かなり高確率で積極的親切な人が
存在するらしい。
その親切極まるおっさんは、インドの宮廷絵画に出てくるような
丸い目と凛々しい眉と口ひげをたくわえていた。


ムガールサライを出て1時間半後、ササラームという駅に到着。
降車時、その宮廷絵画風の紳士が駅員に私の事情を説明してくれたので
駅員は私を連れて、こぎれいで広い休憩室の鍵を開けてくれた。
「ここで列車が来るまでゆっくり休んでください、
列車は15時に来ます。
もしなにか食べるんだったらあちらに食堂があります。
お手洗いはあちらですので。」
と彼は言って去って行った。


時間を潰していると、おっさんが待合室に入ってきて
あなたはムガールサライに行くんですね?と聞くので
あれ、なんで知ってるんだろうこのおっさん、と思いつつ
はぁ、と答え、そしてどこから来たのかとか
ヴァラナシに行く目的とか聞かれた。
あなたは駅員ですか?と聞くとやはりそうだった。
駅の職員なのか只のおっさんなのか区別がつきづらい。


またしばらくして待合室にやや裕福そうな
恰幅のいい女性2人組が恰幅のいい女の子を連れて入ってきた。
彼女たちは私の乗る列車に親戚が乗っているらしく
その親戚に一目会いに来たそう。
停車時間がのんびりしているインドでは、
その数分のために親戚や知人に会いに駅に行く、というのを
しばしば聞く。
駅のアナウンスがあり、いよいよ列車が来るようなので
彼女らと一緒にホームに出た。
ホームで列車の来る方向を見てると、
突然、駅に住み着いた物乞いの家族の子供が
その恰幅のいい女性の1人に駆け寄り、
物乞いをしたが彼女は断った。
すると子供は何の真似か知らないけど
彼女の着ているドレスに顔をこすりつけた。
子供は顔が汚れて真っ黒だ。
恰幅のいい女性は驚いてその子供を叱り飛ばした。
そして平手打ち。
ぴしゃりとぶたれた子供は泣き出して
兄弟のところに戻って行った。
引っぱたくのに躊躇いがないのは物乞いの子だからだろうか。
私はショックだった。
あの恰幅のいい女性は絶対自分の子供は
ぶたないだろうに。


その後、待ちに待った列車に乗り込み、
1時間半かけてムガールサライに戻り、
相乗りのテンプーに乗って18キロ、
夕方5時、聖都ヴァラナシに到着。