インドで出会う音楽

先日、会社帰りのこと、
人々が夜近所の広場に集まっていて、ちょうど集会みたいな感じ、
テントを張って、マイクを通して何やら不思議な音色が聞こえるなと思い、
躊躇しつつ結局音色に惹かれて立ち寄ると、
簡素なステージの前に客席が設けられ、其の周りをオーディエンスが
囲んでいた。大人も子供も混じっていた。
背伸びをして人と人の間からステージを見ると、
楽器だと思ってたら若い女性の歌声だった。
あまりにも美しくて心に響く歌声で、涙ぐんでしまったほどだった。
でも見ていたら間もなく終わった。
何かのお祈りの歌らしかった。
インドのポップソングもいいけど、古典音楽は別格だ。
少し彼女の歌声を聞いただけで、
あー毎日彼女の歌声が聞けたらなーと空しくも思ってしまう、
そんな穏やかさや安らぎに満ちた、心地よさを与える歌声だった。
練習の積み重ねもあるかもしれないけど、
これは彼女がまさに持って生まれた才能だと思う。
大人も子供も彼女の歌声にじっと耳を傾けていた。


前回、ヴァラナシに滞在中、
夜町を徘徊していると
近くのスピーカーからシタールの音が聞こえた。
どうもCDとかではなく生音を流してるような響き具合で、
しばらく何とはなしに聞き入っていたのだけども
じきに居ても立ってもいられなくなり、
傍の人を捉まえて、あれはどこから聞こえるのかと問うと、
寺院からだよ、と言うので、彼が示したほうに足早に向かった。
そしてまた通りすがりの人を捉まえて、
あのシタールの音が聞こえる寺院に行きたいんだけど、と言うと、
親切にも狭い路地を突き進んだ、入り組んだ場所にあった
その寺院まで私を案内してくれた。
それはたしかガネーシャというヒンドゥーの神様のお祭りだったと思う。
たくさんの地元人が四角いお堂に詰めて座って、
みんな思い思いにシタールの音色を鑑賞していた。
余興なのかお祈りの一部なのかわからなかったけど、
大学のシタールの教授(!)のトップの人が弾いていて、
さすが大学教授ともなると、
シタールの楽器自体も見たことがないくらい素敵だった。
あれが欲しい…と空しくも思った。
演奏後、その大学教授と少し話すことができた。
気さくで品のいい人だった。


インドにいてしばしば感じさせられるのは、
インド人にとって音楽、特に古典音楽は
あたかもごく当たり前のことのように
生活の中に溶け込んでいるものであるようだ、ということだ。
なんでもないことのような、その自然さが美しい。
インドでは「宗教そのものが日々の生活である」とも言われ、
その宗教と古典音楽とは密接に関わっているので、
当然と言えば当然のことだけども。
したがってインド人の耳はだいぶ肥えていると思う、
あんな素晴らしい演奏会が日常的にあるのだから。
そして、それが私がインドに惹かれる理由のひとつであって、
興味深く、いつまで経っても不思議なものを見るような心持がする部分である。