ようやく入社

私にとって非常に煩わしい入社手続き(必要書類さえ揃っていれば、
ややこしくならずに済んだ。)を伴った2日間の入社説明会を
めでたくパスし、いよいよ明日から出社できることになりました。


ところで
先週はインドのお正月、“ディワーリー”(“ディーパーワリー”とも)
でした。
ディワーリーには、小さな素焼きの皿にオイルを入れて火を灯す
ささやかなランプから色とりどりの派手な電飾まで
とにかくあかりを灯す習慣があります。
その目を楽しませる光景は、
日本のクリスマスシーズンの街の景観に近くて
すこし豊かなおうちでは自宅に電飾を飾り付けたりして
普段見慣れた街並みも、夜になると一変して非日常的な世界が広がる。
そして夜は日本の夏休みみたいに
子供たちの花火(&爆竹)大会が繰り広げられます。


そんな中、
つまり、インド中が家族で祝ってる中、
もうすこしで私はぽつんと一人だけで正月を過ごすところだったのだけども、
去年留学中に知り合ったおじいさんが温かくも私を招いてくださったので
お言葉に甘えて遊びに行くことにした。


それで水曜の夜10時半頃バンガロールを出発し、
翌日夕方5時半におじいさんの住むナグプールに着く列車に乗ることにした。
ナグプールは前にいたワルダーから近い、わりと大きな街。
列車は、ちょうど盆正月の日本の新幹線みたいにすでに全席予約済み、
仕方なく唯一予約なしのセカンドクラスに乗ることにした。
車両に何の気なしに足を踏み入れると、
車内はもはやとっくに日が暮れているというのに
まだ発車まで時間があるからか、車内の電灯が一切消されていて真っ暗だった。
おまけに入り口付近まで溢れた乗客が床にうずくまってたりして前に進めない。
ぼんやり突っ立っていると駅員が点灯にやって来た。
明かりが点いた。目が眩む。
車内に目をやり、私はインドに久々に震撼させられた。
車内はじつに乗車率500パーセントくらいの混みようだった。
そんな薄暗い中、人々がうごめきながら自分の陣地をようやく確保し、
休息を取ろうとしていた。
この列車はバンガロールが始発なので、
バンガロールからこれだけの人が乗ったということだ。


言っておくが、ここでは立っていてはいけない!
というのは、列車の旅は短い人で12時間(ハイデラバード着)、
長い人は終点のデリーまで約36時間の旅がこれから始まるので
もたもたせずに出来る限り速やかに自分が横になれる、
又は少なくとも座れる場所を
何よりまず先にキープしなくてはいけない。
床に布(持参)を敷いて寝るのなんてここ2等車両では普通だった。


それはわかってるのだけども
私はまだ車両に乗り込んで最初の扉すらも通過してなくて、
(車内の構造は新幹線を想像してください、ただし汚い。)
ただ目の前に強烈な印象を持って広がる、
久々に見る異様な光景に呆気に取られ、
思わず「わ、すごい」と独り言を言ってしまった。


でも、後に引き返す訳にもいかず、前後不覚、
しばし思考がストップしたまま立ち尽くしていると、
正月帰りらしい若者連れが、ストップしたまま動かない私に気づき、
親切にも最初の扉を入ってすぐのボックス席の3人掛けくらいの座席に
すでに4人座って狭そうだったのを、さらに詰めてもらって
その端に私を座らせてくれた。助かった。座れた。
私の目的地ナグプールまで所要約19時間。
私の席を確保してくれた青年の一人は、
やはり床で、他所のおっさんが敷いた敷き布の上で膝を抱えて座っていた。
ちなみにその青年はバンガロールで見た最初の美青年だった。


首尾良く列車は翌日の夕方、目的地ナグプールに私を降ろし、
終点のデリーに向かってまた北上して行った。
駅におじいさんが迎えに来てくれていた。
電話でしょっちゅう話しているので意外なほど再会感が小さくて
何だか嬉しい気持ちになった。


おじいさんは、奥さんと、息子さん、息子さんの奥さん、
そして孫が2人、16歳と(たぶん)10歳の男の子と住んでいて、
暮らし向きはほどほど豊かだけど、静かに慎ましやかに暮らしていて、
訪ねるのが今回で2度目のお宅は、昭和の私の幼少期頃のうちを連想させた。
家内は掃除が行き届いて清潔で、テラスのガーデニング
美しい緑が溢れ返ってすがすがしかった。
ナグプールはバンガロールよりも空気が美味しい。
小さな地方都市ながらなんでも揃っていて、緑が多くて、
静かで平和で、住み心地が良さそう。


ほんとは訪れた翌日の夕方、ワルダーに移動する予定だったのだけど
おじいさんがとっても引き止めるので、ワルダー行きを1日延期した。
その、ワルダーに行くはずだった日はディワーリーのメインの日で、
ラクシュミにお祈りを捧げる日だった。
ラクシュミとはヒンドゥー教の学問と芸術とお金の女神。
夕方、家の中の神棚に祀られたラクシュミの前でみんなでお祈りをして、
その後、テラスでみんなで花火をした。


夕飯を食べ終わって
同じアパートメントに住むファミリー5、6組と一緒になって
住居の前で花火大会が始まった。
町中あちこちで、家庭用打ち上げ花火を上げる音がし、
遠くではいろんな場所から大きな打ち上げ花火が上がるのが見えた。
爆竹も2000連発とか普通にあって、
同じく町中いたる場所から爆竹の音がはじけていた。
爆竹の音は恐ろしいでしょう?悪いものもこれを聞いて逃げ出すの、
とおばあさんが教えてくれた。魔除けのようなものなのだった。
おばあさんは、みんなが階下に下りて花火に興じていても
部屋の窓辺に椅子を置いて、そっとそこからみんなの様子を見守っていた。
おじいさんが、
家に誰もいないと窓を閉めて鍵をかけて出なけりゃいけない、
そうするとラクシュミがうちに入ったり出たりできなくなるね、
だからおばあさんは家の中から出ないんだよと教えてくれた。


翌日、朝、バスでナグプールからワルダーに移動。1時間半の道のり。
おばあさんが出掛けに、ディワーリーの伝統的な手作りお菓子を
持たせてくれた。


ワルダーに着き、前に居た学校の敷地内の居住区に暮らす知人や
その他のお世話になった人たちに会いに行き、
ディワーリーの挨拶をして1日過ごした。
ムンバイ在住の学長の娘さんも、学長宅に滞在中で会うことができた。
日本寺でお寺の台所番マーラーさんと久々の再会、
マーラーさんが私が来ると聞いて、とびきり素敵なバングルを
プレゼントに用意していてくれた。


そうしてその夜の便で、再び19時間かけてバンガロールに戻った。
行きほど混んでなくて余裕で座れたけど、
乗車時間が12時間を越える場合は、次回から飛行機にしようと思った。