シタールの修理

シタールの弦を支える棒が、前回ヴァラナシに行った帰りに
何かのはずみで根元からぽきんと折れてしまっていたので、
接着剤でくっ付けて弾いていた。
でも弾いていたら、またすぐに取れてしまったので、
近所の音楽教室で修理屋の場所を聞いたら、すぐに修理屋の名刺をくれたので、
先週末、楽器を持ってさっそく訪ねた。


うちからオートで30分弱のところにその修理屋はあって
狭い間口の小さな店だった。
入り口に古い弦楽器やら空気オルガンなんかが並べて置いてあった。
店にはいかにもバンドをやっているふうの、ギターのキャリーバッグを背負った
10代のインド人の男の子らが旦那からピックを買っていた。


旦那に修理して欲しい箇所を訴えると、棒の本体に埋まってる部分を
抜き出さないといけないから、ちょっと時間がかかるが、
明日にはできあがるということだったので、楽器を置いて帰った。


翌日は用事があって取りに行けなかったので、翌々日に行った。
修理箇所を見せてもらうと、とても丁寧とは言えない処理に驚いた。
本体に埋まっていた部分を除き取るために周りもいくぶんか削り取られていて
元の棒を取り除いた部分に、私が持ち込んだ折れてしまった棒が挿し込んであり、
削り取って穴が開いた部分に雑に樹脂が埋められていた。


それだけでも悲しかったのに、弾いてみると、
折れた棒を使っているために弦の高さがいくぶん低くなっていることに気が付いた。
もちろん弾きにくい。
しかもしっかり固定されていないのでぐらぐらする。
楽器を扱っているのにこの雑さは何だろうと腹立たしく、悔しくなった。
いい加減な修理をした旦那に腹を立て、
楽器を雑に扱って傷つけてしまったことを後悔した。


シタールの先生が、
服を作る人はその服を着るわけじゃないから、その服の着心地を知らない、
楽器を作る人も同じように、楽器を作る人なのであって演奏家ではないのだから
その楽器のことを知らないのだと言っていた。
たしかに、シタールを見ていると少なくとも数箇所はその言葉があてはまるのが
私でもわかった。
今回のことで、修理する人も弾き手ほど楽器に対する愛情がないのだとよくわかった。